あさイチ 『子供のいない人生の生き方』で思ったこと
文:まいか
NHKあさイチの『子供のいない人生の生き方』は、すごく考えさせられる内容だった。
不登校、ひきこもりにも共通する面が多々あると感じた。
私は結婚が遅かったので、子供のことはそんなに強く望んでいなかったけれど
3度の流産で、妊娠の可能性があるとわかると
がぜん、子供が欲しいと思うようになった。
不妊治療もしてみたが、身体への負担がとても大きく、長期間耐えられそうにもなかった。
あきらめて「夫婦で楽しく暮らそう」と話し合っていたら、息子の妊娠がわかった。
故郷に、結婚しても長年子供に恵まれない友人がいた。
私が「流産しちゃった」と言った時の
「私も流産でもいいからしてみたかった」と言った彼女の言葉が忘れられない。
彼女はずっと悩み苦しんでいたのだと、その時、痛いほどわかった。
私が出産したことに対して、どんな思いを抱いていたのだろう
結婚して子供を産むのは当たり前
女は子供を産んで一人前
子供がいないと老後はさみしい
そういった昭和の価値観の中で私達は育ってきた。
不妊治療がうまくいかなかったことで
本当に子供が欲しかったのだろうか、、、
時代に合わせた自分のポーズだったのかもしれない、、、
世間の圧力の中で、流されていた、、、
自分の気持ちに向き合って、そんなことを考え直すきっかけになったという人もいた。
子供のいない人生をどう生きていきたいのか
自分の人生はどうありたいのか
自分で決めていいのだ。
親戚など周囲からの「子供はまだ?」という言葉にも傷つくことが多い。
(不登校、ひきこもりでも同じ)
「子供がいない」と言った時の相手の(まずい、触れてはいけなかった)というような反応にも傷つく。
さらりと「そうなんだ」と受け流してもらうだけでいいのに、、、
当事者さん達のリアルな声だ。
結婚してないから普通ではない。
子供がいないから普通ではない。
孫がいないから普通ではない
(学校に行ってないから普通ではない)
世間の普通ってなんだろう?
世間の普通でないといけないのだろうか?
価値観はこれからもっと変化し多様化していくことだろう。
産婦人科医の高尾美穂先生のお話が心に響いた。
親になるという状態は、ギフト的なもの。どれだけ頑張ったから手に入るというものではないと、自分自身が理解する。
今あるものに目を向ける
パートナー、お父さん、お母さんがいることを大事にしていく方が未来に向けての考え方になる。
「何のために生きているんだろう」と言った時に、子供を持つことが人生の全てか、ということ。
「子供を持っているから幸せ」
「子供を持っていなかったら幸せではない」
という方程式は、絶対に成り立たない。
自分自身がどのように過ごすかで自分は幸せに生きることができるはず
子供を持てなかったら、自分の人生は未完成、パズルのピースが埋まっていないという感覚を持つイメージは、わからないでもない。
空いているピースがあるとすれば、自分で埋めていくのが人生
埋めていかなければならないというものではなく、後から見る時に『ちゃんと埋まっていた』と思えるような時間と経験の積み重ねがいい。
「子供」の部分を「学校に行く」に置き換えてみることができると思った。
「子供が学校に行くから幸せ」
「子供が学校に行かないから幸せではない」
というふうに。
自分自身で選んで
自分で幸せに生きていく。
そんな当たり前のことがなかなかできなかった世の中ではあるが
もう昭和の価値観で人の生き方を縛る時代ではないと思った。
故郷の友達は、現在、ご主人と2人で仲睦まじく楽しく暮らしている。
『子供を持つ』という呪縛から、彼女がとっくの昔に解放されていることを願っている。